忍者ブログ
マイペンライがモットーです
[93]  [94]  [95]  [96]  [99]  [100]  [103]  [109]  [114]  [115]  [112
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

~2000年 日本映画 テレビ録画にて鑑賞~

 説明するまでもないでしょうが、鬼才・深作欣二の遺作。「中学生がバトルロイヤル形式に殺し合う」という、とんでもない暴力的・残虐な作品なので、公開時にはかなり物議を醸していたものです。
 国会でも取り上げられたくらいなのだから、物議を醸したという点で歴史に残る作品と言ってもいいでしょうね

 この作品を評価するのは難しいものです。製作者側は、必ずしも暴力万歳の作品を作ったつもりはないのでしょう。藤原竜也と前田亜季のカップルと山本太郎が、結局は殺し合うことなく生きて出てきたし、彼ら三人以外でも、極限状態のなか助け合って生きていこうとする姿も所々描かれています。
 しかし、例えば小学生や中学生は、製作者側の意図を汲み取ってこの作品を観られるでしょうか。個人差はあるものの、暴力的な衝動を付与してしまう結果になりかねないのではないでしょうか。実際、この作品を観たことが影響したと思われる、残忍な事件も起っています。

 やはり、「中学生が殺しあう」ってとこは大問題でしょう。ただでさえ微妙な年頃の中学生、こういう過激な作品が心理に与える影響は、無視できないのではないかと思います。
 これだけ小中学生の残酷な事件が続いている昨今、暴力描写が青少年の心理に与える影響を無視していいと私は思いません。

 また、大人と子供の対立がこの作品の前提として存在しますが、それをことさら強調して描くのはいかがなもんでしょうか。
 中学生同士の友情・愛情については、いくつも救いがあるものの、大人と子供の対立に対しては、救いの無い作品になっています。

 ということで、私はこの作品については否定的。

 それ以前に、この作品の背景となっている「BR法」がまったく意味がわかりません。
 そもそも、なぜ彼ら中学生たちは殺しあわなくてはならないのか。毎年、全国からあるクラスを抽出して、そのうち一人だけ生き延びさせられるってのは、いったい何の意味があるのか。
 第一、国家の意思としてこんなことがまかり通るわけがありません。
 大人が子供を恐れた結果としての方策としては、まるで筋が通らないですよね。

 言ってみれば荒唐無稽なこの作品、少なくとも「なぜ殺しあわなくてはならないのか」ということを、観客が納得できる部分が無ければダメなんじゃないかな。
PR
Comment
name 
title 
color 
mail 
URL
comment 
pass    Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
コメントの修正にはpasswordが必要です。任意の英数字を入力して下さい。
管理人のみ閲覧可   
この記事へのトラックバック
この記事にトラックバックする:
Template by Crow's nest 忍者ブログ [PR]